部屋の片付けがしたい

部屋がとても散らかっているので、これをなんとかしたいのですが、全然片付けられません。

買った本、お菓子の袋、通販の段ボール、空き(たぶん空き)缶、ペットボトル等、ゴミ箱にinしなかったもの等。床が見えないくらい散らかってるわけではなくて、床面積のほとんどは見えてるのですが、僕の部屋はやや複雑な動線をしていて、僕が長くいる場所の周辺だけ散らかってます。特に机の上が散らかっていて、ここが散らかってなかったらどんなに良いだろうと思います。

ネットで、部屋が散らかってることによるストレスは本人の自覚よりも大きくて大変みたいなたまに情報を見ます。多分ほんとにそうなんだろうと思います。

まず本ですが、僕の部屋には本棚がなく、本が横積みになってるのですが、そのせいで本を戻す位置がなくって、たまに取り出した本を戻さずにそのままにしてしまい部屋本が謎の場所に置かれることになってしまいます。本棚は買うつもりなんですがいつまでこの家にいるかわからないので保留中です。

あと、ゴミ類なのですが、(早く捨てろというのは一旦置いておいて)これは実家にいるせいというのがある気がします。僕の部屋がこういうゴミを捨てる場所から遠い場所にあって捨てる面倒さが大きくなってます。あと、僕は昔から買ったものを親に知られるのが嫌で、買った飲み物とか通販で買ったものとかをとにかく隠しできました。行動を知られた時のリアクションがとてもストレスで、いろいろ取り繕ってるせいで、即捨てられなかったゴミ類が割とあります。

しかしなんといっても先延ばし癖がありすぎなんですよね。こんな文章書いてないで部屋の片付けをするべきです。

はてなブログの下書きに、「休日の正解」という記事があって、僕はいつも休日が終わる時に充実感がなく喪失感ばかりで、では休日はどう過ごすべきなのかという記事になる予定なのですが、僕が休みの日にやるべきことってたぶん部屋の片付けなんですよね。

焼きそばパンとチョココロネ

ネガティブめな記事が続いているので、好きなものについて書いてみます。

今回の好きなものは、焼きそばパンとチョココロネです。

なんで焼きそばパンとチョココロネを一緒に紹介してるかというと、どっちもパン屋さんで買えるからです。パン屋ごとに色々オリジナリティのあるパンがあって、そういうのも好きだけど、焼きそばパンとチョココロネは何処にでもあるので、見かけたら買ってみてください。有名なので食べたことある人が多いかもですね。

僕は1食に主食っぽい炭水化物を2種類食べるのは好きじゃないんですが、焼きそばパンは何故か好きです。最近はコンビニにもいろんな種類のパンがあって、ドーナツとかも色々あって美味しいのですが、焼きそばパンは普通のパン屋さんのやつを食べたいです。多分焼きそばパンってラップみたいなのに密閉されてないと焼きそばパンっていう感じがしないんだと思います。

美味しいものって他にもハンバーグとか杏仁豆腐とかたくさんあるけど、焼きそばパンとチョココロネを自分の好きなものとして認識してるのって、多分小さい頃から好きだったからだと思う。幼い頃、ベランダに小さい椅子を置いて、兄と一緒に焼きそばパンとかチョココロネとかを食べたという思い出が何回かあります。

好きな食べ物は他にもたくさんありますが、今回はパン編でした。

職員室が怖い

小学生だった頃から高校に通ってた頃まで、ずっと職員室が怖かったです。小学校から高校へ年齢が上がるにつれ、恐怖心はどんどん強まっていきました。

大抵の場合、職員室に入るときにはルールがあります。最初にノックをするとか、入るときに自分のクラスと名前を言って、用件を話すとかです。僕も入り口でこういうのに従って名前を言ってみたりするんですが、○○先生いますかとか言っても、返答がないことが多いんですよね。ぼそぼそ喋るのでどうしてもこうなってしまいます。で、だいたい入り口から用のある先生がいるのかわかるので、そのまま入っていくのか、声をかけるかする。職員室の入り口から声をかけるのは僕にはできないし、中に入っていくのも最初の挨拶が聞かれてないので勝手に入るなって怒られると思うんですね。

ここまで自分が何で職員室が怖かったのか色々思い出しつつ想像しながら書いていたのですが、いざ書いてみるとうまく説明できません。自分が何を怖がっていたかっていうのも、自分でもよくわからないですし。今回は説明はあきらめて、今後できそうだったら書いてみたいと思います。先生からしたら、部屋の前でうろうろし続けてる自分のほうがよほど怖かったかもしれないですね。

とにかく当時職員室に行くのが嫌で、職員室に行かないといけないとなると、みぞおちのあたりがぎゅっとして重くなって、重い足取りで遠回りして職員室に向かっていました。

「学生時代は、勉強だけじゃなくて、友人関係や周りの大人との関係、(職員室を訪れるときみたいな)マナーを身に着ける重要な機会だ」といった趣旨の文章を読んだことがあります。僕は、基本的には休まないで小学校から高校まで毎日学校に通っていましたが、そういう社会性みたいなものが身についた気が全くしません。人の振る舞いには説明されてない共通前提みたいなものがあって、それにうまく合わせようとしたけど、結局自分にはその共通前提みたいなものに対するセンサーがそもそもなかったんじゃないかと思います。

職員室がいくら苦手だからと言ってもそれは過去のことだから、今の自分には昔そんな悩みがあったっていうことは、一見どうでもよさそうにも見えます。でも自分には、この悩みが小学校から高校という期間にとどまらず、そこから今日までの自分の毎日をずっと貫いて、同じことに苦しみ続けていると感じます。表面的なシチュエーションが変わっても、ふとした瞬間に、あの時に感じたからだの反応が思いもよらない状況で自分の中で感じていることがあります。

朝(1)

目覚ましの直前で目覚めた時は、もう起きないといけないのかととても憂鬱になります。

最初に目覚めたとき、目覚ましの時刻より前であればあるほど得した気分になる。こういう時は、二度寝するか、目覚ましの時間までスマホを見てます。二度寝して次起きたときに目覚ましの時刻になってると、やっぱり憂鬱になります。スマホを見て過ごすと、睡眠時間を短くしてしまったと後悔します。

何も考えないでただ寝ていたいです。小学生くらいの頃からずっと同じことを考えてるような気がします。

店で服を買う

店で服を買うのが苦手という話です。

店で服を買った経験がゼロなわけではなく、以前で2回ほど店頭で服を買ったことがあります。

幸いなことに、店まで行かなくても、ネットで服を買うという手段もあります。僕もネットで服を買ったことがあります。ネットであれば多少は気楽に服が買えるため、店が苦手なせいで着る服がないといった事態は避けられます。というわけで、店で服が買えないというのはそれほど切羽詰まった問題ではないです。

(とはいえ、お金がかかるとか、サイズがわからないとか、肌触りがわからないとかで、ネットでも服を買い渋っています。結果的にとても少ない数の服をローテーションで着ています。)

最近考えてたのは、服屋で服を買えないことについて、克服するべき問題と捉えるべきか、服はネットで買うと決めて悩むのをやめるかというところです。

僕はよく、休みの日に家にいづらくてふらふら街に行くことがあります。街には服屋があります。服屋を見ると、「普通の大人は自分の必要なものを店で買ったりして生活している」というのが頭の中に入ってきて、そんなこともできなくて自分は大丈夫なのか、という気持ちになります。(今回は服について書いてるけど、他にもリュックが欲しいのに全然買えてない問題とか、靴買うのがすごく大変だった問題などがあります。でも多分服と同じことです。ちなみに、同じ店でもコンビニ、スーパー、本屋で買い物とかはできてます)

服屋に入れないのは、服が多すぎて何を手に取れば良いのかわからないとか、試着の仕方がわからないとか、そもそも服屋に入って良いのかわからない(多分入って良いに決まってるのですが、なんとなく自分は入ってはいけない気がする)といったところです。

たくさんある服から、手に取る服を選ぶのって難しいと思います。まず、普通はこういう服を着るのが無難という共通感覚みたいなものが多分存在していて、僕にはそれがわかっていません。それから、着たい服がなんなのか自分自身でわかってないというのもあるのかなと思います。

とにかく、そんなことを考えながら結局服は買えず、心にダメージを負って帰宅し、休日を終えることになります。

先日、これはもう諦めるのが一番楽なのでは?と思い始めました。できないことができるようになれば何となく成長した感じがするし、休日も少し有意義になった気もするので、克服のつもりで街に繰り出したりしていましたが、これが克服できたところでたくさんある欠点が一つなくなるだけです。自分には全部克服しようとすると気が遠くなるような大量の欠点があるわけで、頑張って普通に近づく努力をし続けるってすごくしんどいんですよね。できないことをいろいろ抱えたまま過ごしていくのもダメというわけではないんじゃないかなと思いました。そのうち気づいたらできるようになってたみたいなこともあるかもしれないし。

書き始めた時に思ってた内容とかなり違う文章になってしまった

このブログの説明

自分が考えたことや感じたことを表にだしてみたくなったので、ブログに日記(?)のようなものをつけていこうと思います。

特に話題豊富な人間ではないのでそんなに書くこともなく、また本当の日記のように日々起こったことを書くつもりもないので、実際には毎日書くということは無いと思います。

支離滅裂な文章になことが多くなる気がしますが、誰に迷惑をかけるわけでもないので、気にせず書いていこうとおもいます。